チャプター5抄録

 

恐怖と仲良くゲームを展開する

 

夢に描いたとおり生きることこそ、真の人生である

—ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

 

昨夜のザ・クリフでの感情の解放、そして今日、怒りを原動力にザ・ウェーブで15フィートの高さから飛び降りたことが、この日の自信と活力に満ちたスキーにつながった。心臓を脈打たせ、太ももを灼くようなモーグル滑走は、リフトに乗る間の静かで内観的な時間とは対称的だった。最後には、筋肉の疲労が興奮に満ちた週末の終わりを告げた。肉体を突き動かすアドレナリンの奔流は尽き果て、私はスキー・ブーツを履いたままぎこちなく歩いて、冷たいビールのある駐車場に戻った。

風のないカークウッド・バレーに降り注ぐ2月の日差しが、トラックのゲートに素足を乗せた私の顔を温める。日光で色褪せたラウンジチェアにゆったり身を沈めて飲んだこの日の「スキー後の一杯」は、いつもに増して美味だった。凍るように冷たいビールが爽やかな山の空気と共に喉を通り、喉の奥を焼いて恍惚をもたらす。一口ごとに私はこの騒乱の週末と、大人の男としての人生の盛衰について熟考した。何年間も逃げ続けた私をザ・クリフは粉々に打ち砕き、私が抱いていた安心とコントロールという錯覚を引き裂いた。その後、フラストレーションを燃料に燃えさかる怒りをザ・ウェーブにぶつけ、その怒りのまま行動した私にとって、物理的な安全や自己保全といった考えは一切が些事となった。とりとめもない思考や観察が深い洞察へと結実することはしばしばあったが、この24時間で感じたような陶酔的な満足感を味わったのは数年ぶりのことだ。一体なぜなのか、それが疑問だった。

地球に暮らす何百万という人に比べると私の人生が素晴らしいことは十分承知している。私は両親や家族からの深い無償の愛をいつでも感じてきた。飢えたことも、虐待されたことも、見捨てられたこともない。重大な危機とも、深刻な問題とも無縁だった。そして忘れもしない決定的なあの瞬間、レストランで向かいの席に座る恋人の目をのぞき込んだ私は、自分の魂を鏡映しに見たような思いだった。仕事の面では、テクノロジー業界と銀行業界で働くことで快適な生活ができ、サンフランシスコやバンクーバー、ブリティッシュコロンビア、バミューダなど、世界の大都市で生活することもできた。

競争という面を見れば、私は小学校6年生から大学卒業まで強豪スポーツチームに在籍していた。スポーツの技能のおかげで、私は家族の歴史の中で初めて大学を卒業する機会に恵まれた。中西部のブルーカラー出身という経済階層に縛られることもなかった。真実を言えば、私は世界史上のどんな王や女王よりも生活水準が高い: 医療レベルは高く、寿命も長く、体によいものを豊富に食べることができ、交通手段も安全で便利だ。残酷なまでに正直なことを言えば、西洋、特にアメリカでの私の人生はチャンスに満ちていた。これ以上何を求めるのだろう?

幸運の埋め合わせをするかのように、無一文になったこともある。もろもろの支払いをかろうじてこなす不安定な生活の中で、毎月の食費や家賃、ダクトテープで継ぎ接ぎしてある錆びた車の修理費を注意深く振り分けた。何度か仕事をクビになったこともある。私はすでに30代前半で物質的成功という名のメリーゴーランドに深く腰掛け、幸福という名の金の指輪を掴もうと腕を伸ばしていたが、結局それは罠だった。

私はおよそ考えうるあらゆる失敗をしてきた。複数回の離婚、そして胸の張り裂けるような何十回もの別れをどうにか生き延びた。深く傷つき苦しむ他者の姿を目の当たりにし、人生のもろさをまざまざと見せつけられた。タックルの瞬間の1秒足らずで首の骨が折れ、四肢麻痺で一生車椅子生活になると宣告されるフットボールのチームメイトの姿をわずか50フィート離れた場所から見ていたこともある。アルコール依存症、不倫、ドラッグ、そして想像を絶するほどの人格障害が原因で荒みきった友人や家族を見てきた。悪い選択が積み重なった結果刑務所に送られた親友の姿をどうすることもできず見ていたこともある。「計画的な」殺人をしたことさえある。一番心を抉った痛みは、がんで死にゆく姉の最期の6ヶ月間を見てきたことだ。

良いことと悪いことのバランスを受け入れ、「人生は今のままで十分いい」と承知することができないのはなぜなのか? 家族が健康で暮らし、何人かの親友がいて、人生がおおむね――少なくとも外から見て――素晴らしいことに満足できないのはなぜなのか? 結婚し、別れずにいることがなぜ不十分なのか? 尊敬できる同僚に囲まれたキャリアを歩むことは、長い目で見て満足いくことではないのか? 以前はそれで満足していた。しかし私の人生は、受容と、安定と、そして満足を嫌悪する段階に入ったのだ。私の内的宇宙は、幾何学的に整列した軌道を外れたのだ。

またしても。

物質的成功と身体的な心地よさという表層の下、その深い場所には、「何かが違う」という無意識の感覚が重荷となって潜んでいる。私の中には怪物が棲んでいる。季節が巡り、人生が展開していく中で、私は常に「自分は今以上のことができる」という深い感情に取り憑かれてきた。物質的・社会的な成功、恐怖を避けること、そして不可能へ挑戦しないことは、私の本来の生き方とは一致しないことだった。

私は常に頭の中で、世界の観察と分析に多くの時間を費やしてきたが、競争の最中にこそ人生最大の満足を得た瞬間があったことを忘れてしまっていた。他のアスリートと競い、ゴルフの最小スコアを競い、技術的プロジェクトを予定通り完遂するべく競ってきた。ビジネスの世界で満足感を得られたのは良い生活を送れたからではなく、解決すべき複雑な課題があったからだ。狡猾な攻め手を練る対戦相手とチェス盤の上で競い合うという知的な難題を私は楽しんできた。何よりも私は自分自身と競い合い、絶えず成長し自分を高めてきた。

今となっては笑い話だが、なぜかそのことを長い間見落としていた。人生の行く先を変えるには、たったひとつの決断を下せばよかったのだ。またしても。必要なのはひとつの理由だった。人生の最良の決断は、今日のザ・ウェーブのように、いつでも内的なものだった。ザ・ウェーブは行動を促すだけでなく、私の中毒的な感情を過去から蘇らせる触媒となった。自分の内面に入り込み、自分の心を信頼し、体を巡る直感のエネルギーに注意を払っていた時、私は例外なく最高に幸せだった。「今こうある」ではなく「こうすべきだ」という世界で生きていた時にこそ、私は大きな成功を収めてきた。狂気という名の虚飾のない火花が目的という美しい炎に変わり、大胆な――不可能に近いような――目標を設定することが、いつでも重要なことだった。「普通」に甘んじたくはなかった。私が正しい道を進んでいるかどうかを測る基準は、周囲の人の90%が私のことを狂っていると思うかどうかだった。

中学生の頃、体重130ポンドのやせっぽちだった私はずぶ濡れになりながら、半信半疑のチームメイトに向けて大胆にも、高校に入ったら市で一番の、そして州で一番のランニングバックになると告げた。高校時代にも同じことをした。私は自信満々に、やはり私の言葉を信じていないチームメイトに向けて、カレッジフットボールの一部リーグでプレーすると語った。これは自慢ではなく、緊張感を作り出すための手段であった。なんとしても実現させるか、笑いものになるかだ。私は小学校6年生から大学を卒業するまでの間、NFLでプレーするという不可能に近い目標に専念していた。天を衝くNFLという山をどう登ればいいかは全くわからなかったが、私は氷帽を被るその頂に自らの旗を打ち立てるという目的に100%打ち込んだ。中学校も卒業しないうちから、私はすでに自分の能力の探求を始めていた。マズローの5段階目にして最後の欲求である、自己実現に到達していたのだ。

再び意欲を得た私は、余計なものをそぎ落としてくれる競争というエネルギーと再び一体となり、強大で恐ろしい相手との激戦に臨んだ。その相手こそ、私が抱える極度の高所恐怖症だった。それは複雑なチェスの試合であり、私は巧みにこの勝負を避けてきたが、白黒の駒は私が行動を起こすのを辛抱強く待ち続けていた。今日という日を讃えるビールの最後の一口を飲み干した私は、西洋の日常にありふれた、心を惑わすような些事に気を取られないことを誓った。新たなチャンスへの扉が、私の能力を試さんとばかりに開かれた。この24時間で得られた心震わすエネルギーを糧として、不可能に近い新たな旅の第一歩を踏み出す10歳の少年が悟った永遠の叡智に立ち返る時だ。

恐怖を前に一歩も引かず、私はポーンをE4に動かして中央に攻撃を仕掛け、人生で最も困難な挑戦、すなわち53歳の誕生日のスカイダイビングへの挑戦を始めた。昨夜、ザ・クリフ沿いの道でこわごわと車を走らせていた時から、恐るべき結末をもたらすこの試合はすでに始まっていた。今日になると雪庇が快適さと現状への満足から私を引きずり出し、立ち向かうことこそ進むべき道だと示してくれた。私が飛行機から飛び降りることを決めた理由は、人生を揺さぶる中年の危機に陥り、幸福になる方法と人生で何を為すべきかがわからなくなったからではない。実際は正反対であり、私はそれをずっと知っていて、ただ思い出すだけでよかったのだ。

できるのか? 52週間後に私は飛行機から飛び降りられるのか? 私の答えは「イエス」だ。恐怖は獲物を追うことが得意だが、獲物に反撃されるのは慣れていない。私は、新たな相手との意思力の限りを尽くした勝負を心待ちにしている。スポーツの勝負を始めた少年の頃から、私は勝つことに慣れてきた。私は勝つと予想している。

またしても。